紀元5世紀になるとローマ帝国の衰退によって、未開人であったゲルマン人やノルマン人が相次いでヨーロッパに侵入し混乱を極め[5]、8世紀にはイベリア半島にイスラムが侵入した。このようにヨーロッパは縮小衰退し暗黒時代を迎え海外に目を向ける力をなくした。
ゲルマン人やノルマン人が建国した国家は数世紀を経て淘汰洗練され、カトリックを精神的支柱とするフランク王国が、西ローマ帝国の支配地であったイタリア・フランス・ドイツに出現し、イスラムの北進を阻んだ。再び安定がもたらされた西ヨーロッパでは経済が活発化し富も蓄積されていった。フランク王国はゲルマンの伝統を色濃く残していたが、ローマの遺産も尊重し継承した。
11世紀後半セルジューク朝トルコによるパレスチナ征服によって、ビザンツ帝国皇帝アレクシオス1世コムネノスは聖地奪回のための協力をローマ教皇・ウルバヌス2世に求めた。聖地回復を大義名分に十字軍の結成が呼びかけられ、各地から多くの王侯貴族が教皇の元にはせ参じた。
多くの者が殉教精神から十字軍に参加したが、十字軍は聖戦の名の下に当時のヨーロッパが抱えていた社会問題解決のためにも利用されることになった。教皇は教義の主導権をめぐって対立していた東方教会への影響力拡大を望み、王侯貴族は隆盛を極めるイスラムの領土や富の収奪を望んだ[6]。
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野心家・無頼漢・狂信者をも含む十字軍は1096年、怒涛の進撃でパレスチナやその周辺を占領し多数のキリスト教国家を建設したが、分配をめぐる内紛や態勢を整えたイスラムの反撃によって戦局は一進一退をくり返すようになる。さらに長引く戦争によって十字軍の士気が低下し堕落や厭戦気分が蔓延り、そのうえ銃後を守るヨーロッパ各国では戦費調達のための重税に人民が苦しみ国土は疲弊した。こうして兵站の確保もままならなくなった十字軍は敗北し聖地から駆逐された。